第23回 はり一本
2006年8月8日(2009年11月29日加筆)
先日本屋さんに行ってみましたところ、新書のコーナーに『はり100本』(竹村文近著・新潮社新書)という本が平積みされているのを見かけました。著者の竹村先生は、たくさんの鍼をすばやく身体の各ツボに刺していく手法のようです。鍼には流派のようなものがあり、また、その流派に自分なりの解釈を加えていったりしながら、自分の治療体系を作り上げていく方が多いと思います。著書を読んでみますと、『はり100本』の竹村先生も、師匠に習いながらこの技を身につけたということです。
この本の題名を借りて言うならば、当院の本治法は一本の鍼で行われる治療ですので、「はり一本」となるでしょうか。 本治法は、身体全体の状態から「証(しょう)」と呼ばれる治療方針を導き出すことから始まります。このとき、患者様の身体を東洋医学の診断方法で診断していき、今その人がどのような身体にあるかを診ていきます。そしてその本治法をするのに必要な「証」が決まりますと、使用するツボが二つ導き出されます。「はり100本」に比べたらたった2つのツボと思われるかもしれませんが、全体の調整を主にして症状を解決していく本治法にとっては、この二つのツボで十分なところがあります。この二つのツボを使用することで、しっかりと身体が自己回復の軌道に乗れば、二つのツボ以外は、あまり使う必要がありません。当院の本治法は、この二つのツボを中心にして基本の一本の鍼で身体を調整していきますので、「はり1本」と呼ぶにふさわしいと思います(使うツボは一つではなく、5箇所以上になります)。
「はり100本」に比べて、どうして使用するツボがこれほど極端に少ないのでしょうか?
それは当院(古医書医学の世界=東洋医学)ではこのように考えているからです。例えば暑い夏、仕事が終わった後に飲むビールはとても美味しいものです。とくに一杯目の味は格別に美味しいものです。しかし、そんな美味しいビールでさえも、二杯、三杯と杯が重なるにつれて美味しさの鮮度が落ちていき、ビールの味はどこへやら・・・。そして次第にビールにも飽きてきたりします。
このように、我々の感覚には感受性があり、ある刺激に対しての反応には反応の始まりとピーク、そして終息というサイクルがあります。今ビールの喩えで説明しましたが、ビールだけでなく、同じように様々な刺激に対してこのような反応のサイクルがあり、ツボも同様の反応を示します。つまり、ツボもこのビールと同じように、一番初めに刺すツボが一番効き、そしてツボを使えば使うほど、身体の反応(自己回復力・自己治癒力の活性化)は刺激に対して鈍っていき、治療全体がメリハリのないものになってしまいます。一見すると鍼がたくさん刺されている姿を見ると、すごいなあと思うかもしれませんし、それだけたくさん鍼をしたら治るような気がするかもしれません。しかしビールの喩えでお話しましたように、人間の身体が持っている刺激に対する反応を考察してみますと、治療に使うツボの数は、闇雲に多くしてもあまり効果が上がらないと思います。やはり施術する治療者が、患者様の身体をしっかりと診て、そして必要なところに鍼をしていくことが、鍼灸治療にとっては大切なことになると思います。鍼灸をする治療者がどのような意図でそこへ鍼をするのか、その考察の結果が、ある先生は100本必要と感じれば100本の鍼をするでしょうし、当院のように1本の鍼で数箇所のツボに鍼をするという違いになります。
鍼をたくさん刺す方法論と、当院ようにツボを限定していく方法論の違いは、効果の差ではなく、各治療者の“鍼をする必要性の有無”だと思います。単純に鍼の本数で治療効果を判断することはできず、施術する先生がどのような意図をもってそこに鍼をしているのか、ということが鍼灸治療の効果に比例していくと思います。『はり100本』の竹村先生のように、たくさんの鍼をするのも一つの方法論ですし、当院のように一本の鍼で治療をしていくのも一つの方法論ですが、“そこに鍼をする”という鍼灸治療の行為の中には、各治療者の技術や学問、思いといったものが込められており、そしてその研鑽の集積が、治すための鍼灸につながっていくのだと思います。
西洋医学は症状に対しての対処療法、それに反して東洋医学は身体全体を診る全体治療と言われています。“全体治療”という東洋医学独特の医療を行うためには、身体全体を診る力は必要になります。そして全体を診る力があってこそ、使用するツボが見えてきます。鍼灸の方法論はたくさんあります。しかし、その鍼がどのような目的で身体に打たれているのかという、「はり1本」に込められた思いは、その先生と患者様を結び、治す衣料としての東洋医学・鍼灸治療にとっては大切なものになると思います。
▲ ページトップへ

鍼灸治療の効用・適応